1944年(昭和19年)5月18日
服部材木店を服部製材株式会社と法人改組
1945年(昭和20年)8月15日
終戦
1945年(昭和20年)12月
第7代 服部小十郎 隠居届出
第8代 服部與一 家督相続
1959年(昭和34年)9月26日
伊勢湾台風が潮岬に上陸
1964年(昭和39年)10月10日~10月24日
東京オリンピック開催
1967年(昭和42年)5月24日
第8代 服部與一が死去
1967年(昭和42年)6月7日
服部榮三
服部製材株式会社 代表取締役社長
1967年(昭和42年)10月
西部木材港開港に伴い、飛島村木場1丁目に、11858.66㎡の事業用地を取得
1968年(昭和43年)
アピトン、ミックスセラヤ等の南洋材原木の取扱開始
1981年(昭和56年)8月1日
株式会社 東海木材相互市場にて浜問屋として営業開始
1983年(昭和58年)
米加材製品の取扱本格化 北米の大手サプライヤーの製品の販売を開始
1984年(昭和59年)7月1日
愛知県飛島村木場1丁目の隣接地を12716.00㎡を建物、機械設備付きで追加購入
1984年(昭和59年)7月12日
愛知県飛島村にて、前土地所有会社の事業を引き継ぎ、造作用集成材の製造、木材乾燥業務を開始
1987年(昭和62年)5月23日
服部製材株式会社を
服部産業株式会社と改称
1989年(平成元年)10月2日
豊橋営業所を開設し、同所での納材業務を開始
1994年(平成6年)5月27日
第9代 服部榮三
名古屋木材組合 組合長
1994年(平成6年)11月1日
住宅資材販売事業を拡大するため西部木材港に1422.25㎡の新倉庫建設
1995年(平成7年)1月17日
阪神淡路大震災
1995年(平成7年)5月8日
服部榮三
社団法人愛知木材組合連合会 会長
(~1998年(平成10年)5月24日)
1997年(平成9年)1月25日
服部榮三
服部産業株式会社 代表取締役会長就任
服部伸一
服部産業株式会社 代表取締役社長就任
1997年(平成9年)
東南アジアの産地国からの供給減少のため南洋材原木取引を終了
1998年(平成10年)5月1日
ツーバイフォー事業の機能強化のためパネル製作に加えてフレーミング工事を請け負う
2000年(平成12年)
輸出梱包用木材の熱処理業務を開始
2001年(平成13年)
ヒノキの構造材の取り扱いが増え、この頃市売部門の売上がピークに
2001年(平成13年)5月28日
名古屋市中区松原で行っていた弊社業務のうち、営業部は名古屋港西部木材団地
(愛知県海部郡飛島村)内へ、総務経理部は中区金山へ移転
2002年(平成14年)4月1日
名古屋市中区松原に地区最大級のスポーツクラブ「ピープルエグザス山王橋」を開業
(現「ラ・グラッセ山王橋」)
2004年(平成16年)7月7日
構造用集成材の邸別アッセンブル業務を効率化するための自動化設備「バイキング」を設置
2005年(平成17年)3月25日~同年9月25日
愛・地球博(2005年日本国際博覧会)
2005年(平成17年)8月26日
環境方針「エコアクション21」制定
2007年(平成19年)3月
コナミスポーツとの協業契約を終了
「ラ・グラッセ山王橋」として運営開始
2011年(平成23年)3月11日
東日本大震災
2012年(平成24年)3月
ツーバイフォープレカットの構造用CAD入力業務を開始
2014年(平成26年)2月22日
服部榮三が死去
2014年(平成26年)4月
桃井成人、秦野健二が取締役に就任し、土屋俊直(平成25年1月就任)に加え、現役員体制に
2016年(平成28年)3月
国産材原木取引の本格化 輸出用材、合板用材などとして販売開始
2016年(平成28年)9月1日
愛媛県新居浜市に「四国営業所」を開設し、営業活動開始
2016年(平成28年)12月1日
株式会社ストロウハットを吸収合併
弊社は住宅資材事業部 スポーツ健康事業部の2事業部制となる
2018年(平成30年)4月
飛島にて羽柄材プレカット加工機3台 合板加工機1台を設置 加工開始
2018年(平成30年)6月
名古屋市教育委員会の要請を受け近隣の公立小学校の当社プールでの水泳授業がスタート
2019年(令和元年)8月
「ラ・グラッセ山王橋」が、リニューアルオープン
2020年(令和2年)3月6日
「300周年感謝の集い」を開催予定であったが新型コロナウイルス感染拡大の為中止
2023年(令和5年)2月20日
宮崎県宮崎市に「九州営業所」を開設
2023年(令和5年)9月11日
高知県高知市に「高知営業所」を開設